2020年12月30日水曜日

ころびました

 ころびました。

 山で、こんなに派手に転倒したのは初めてです。

 アイゼンを引っ掛けました。

 木曽駒ヶ岳からの下山中です。ほとんど雪に覆われていない夏道の、土留の金網に、恐らく、左足前方外側の爪を引っ掛け、重心が移動しているのに、受け止める足がなく、左側斜面に頭からダイブしました。

 おでこ左端にタンコブを作りました、生まれてはじめてです。左膝の、まさにお皿を強打しました。後で確認にしたら2mmくらいえぐれていました。幸いなことにメガネは無事でした。

 ツアーメンバーには看護師さんがいて、小袋に雪を入れ、タンコブ部分を冷やすように言ってくれました。これが良かったと思います。押し付けると痛いのですが(ボクサーの腫れ止も痛いのかなぁ)、後悔や自責の念の重さも併せて我慢し、押し冷やし続けました。知りませんでしたが、放っておくと、タンコブは垂れ下がるほどに大きくなるようです。翌日は、人前で挨拶をしなければならない身としては、何よりありがたいことでした。

 傷の手当もしてもらいました。サイズの大きなカットバンや消毒薬を持ち歩くべきこと(普通の傷薬は、どちらかというと痛み止めに近いようです)を、身を持って知りました。

 考えていました。雪山入門という触れ込みなのに、ピックの向きしか教えてくれていない。まぁ、雪が少なく、滑落停止訓練は無理だなぁ・・・とか、ぼーっと考えていました。

 そういうことです。そもそも、12本爪はいらない状態でした。でも、それこそが訓練なのかもしれません。また、ヘルメットもかぶっていませんでした。実は、ヘルメットは持って行こうとしていましたが、同行者は持っていかないというので、簡単に同調してしましました。自分の実力で判断すべきでした。更に、もはや若くはないということも考慮しなければなりませんでした。

 素晴らしい天候の木曽駒ヶ岳。これまでは思い入れがあった山ではありませんが、日本アルプスでは奥穂と同じ回数登ったことになり、記憶に刻まれなければならない山になりました。これからは、思い入れを持って、また、登りに来たいと思います。

 硬膜外血腫にならないことを祈りながら、今年は山以外でもアクシデントに見舞われ続けているので(;_:)、年が明けて、リセットされることを祈っています。



2020年12月14日月曜日

なんだか

 5月の倉出山以降、ブログが止まったまま。

 実は山には登っている。

 自分としては、新たな経験、自分を知ることとなるような山行もあった。

 ひでさんと行った飯豊山は忘れられない。


 でも、登っているときの高揚感や満足感は、日常に戻ってしまうと、振り返ることも億劫になるほどに、消えてしまう。

 そうして、最近は、自分から山に向かおうとするエネルギーすら失われている。


 だからなのか、6月の東鴉川を皮切りに

 8月の仙人沢(笹谷)

 そしてジャンダルムは西穂奥穂縦走、

 10月の五頭連峰はハゲ沢、


 11月は鎌倉山岩登り講習、


 12月の木曽駒雪山講習と、


岳さんツアーに参加している。

 

 山には行きたいのである。

 山に行き、自らを確かめたいのである。

 しかし、自信は、年齢とともに、失われている。

 晴天に誘われて、初冬の朝日に独り向かうような、エネルギーは枯渇している。

 いやだな。


 泣き言に付き合ってくれてありがとう。

 次からは、違う物語になりますように。




2020年7月25日土曜日

山形山百89番倉手山(2020年5月24日)

 
倉手山に登る。

倉手山 急登喘ぎ 天至り 我が腕にて 飯豊包まん



倉手山を降り、梅花皮沢は、梶川の出合へ高巻きが始まる辺りの、丁度手前まで行き、昼飯とした。

昼食は 雪消え芽立つ 急斜面 母猿子ザル ボス猿のたり


花々もまた瑞々しく陽光に映える。













2020年6月14日日曜日

湯殿山(2020年4月17日)

 今シーズ二度めの湯殿山。
 今回は、石跳川を装束場まで詰め、北東に伸びる尾根を行く。


 登り出しは緩やかだが、1421mのピークまでは距離は短いものの急坂上りになる。その後の山頂稜線は朝日連峰を正面に、月山を左手に据えながらの絶景ルート。山頂手前で50mほど急降下になる。そこでツボ足に切り替え、そのまま山頂へ。気分この上もなく良い。

 下降は、南斜面の谷に沿って行く。東面よりは広くて滑りやすい。広い雪面を大胆に滑り降りる。

 傾斜が緩むとともに湯質が大きく変化する。いわゆるストップ雪が現れる。滑りを楽しむなら、もう2時間早く行動すべきか。

 今滑り降りた大斜面を仰ぎながら昼飯。
 ブス沼、カワクルミ沼とツリーランを期待したが、ますます重くなった雪に、スキーは全く走らず。それはそれで、春爛漫を満喫。

 ほぼ毎年、同じように登り、同じように降りる。同じような写真を撮る。同じように喘ぎ、燥ぎ、合わないブーツを我慢する。スキーが下手だと嘆き、月山の森は最高だと独り言ちする。明日も同じように今日をくりかえし、日々を喰んで行く。それは楽しいからに他ならない。

2020年6月7日日曜日

山形山百12番盃山(2020年4月11日)

 今日は二人で里山漫歩の予定であったが、急用ができたとのことで、単独行となった。

 この山は、北蔵王の前衛峰たる山々の真ん中に位置し、699.9mの標高はその中では一番高い。いかにも盟主的に見え、行ってみたくなる山である(その山地の端にやまがた百名山の大岡山があるが、その標高は401m)。

緑のラインが行き、オレンジが帰り

 この東側の山々に気付かされたのは、馬見ヶ崎川右岸、盃山のふもとを散策した時だった。
 盃山の東端は植林地になっており、立派な山仕事道がある。この道をたどれば盃山に
登り返すものと勝手に当たりをつけ進んだ。林道は杣道になり、盃山の裏側(北側)に
続いているが、そのうち沢伝いに消えていく。そのまま沢をたどれば双月に出るのは間違いなかったが、暗い沢筋を嫌い、目の前の、明るい雑木林を纏った山(沢を隔て盃山の北側に位置する時枝山だった)に登った。
 帰ろうと、登ってきた方向に降りたつもりだったが、結局、方向を見失った。登り返して周囲を見ると、盃山とは反対の方向に空間が見えたので、下ったところ中ノ沢林道だった。

 やれやれと林道を戻ったが、これが結構な距離だった。帰宅したのは散歩に行くと家を出てから3時間ほど経過していた。随分と妻に怒られた。

 それから、この盃山の北東に続く山々が気になり、秋や冬、また山菜取り(コシアブラが採れる)に出かけた。




 
 炭沢山には二度は登っている。  

   

 初めて行ったときには天候が急激に崩れ、岩陰に避難したところ、眼の前(と思えた)に雷が走った。打たれたのかと思うほど大気が振動した。

 帰路、心が乱れたのか、尾根を下り過ぎた。戻る気力もなく、暗い杉斜面を深沢不動に降りた。そこから沼の辺を経由して家に帰った。実に遠かった。






 二度目は、2015年の4月26日。これは天気も良く、今回と同じような気持ちの良い山歩きだった。山頂にはカタクリの花が咲いていた。
 今回、山頂付近のクヌギの幹に、古い標識とカラフルな新しい標識とが括りつけてあった。

 花々は、ショウジョウバカマ、カタクリが咲いていた。


 帰路は、かつて迷った時枝山、盃山の北斜面を経由した。あの時と同じように、妙に明るい山であった。双月方面から登る人があるらしく、看板や赤テープが備えられていたのには、ちょっと驚いた。




山形山百95番家形山(2020年5月18日)

 ようやく県内の山登り解禁。
 五色沼を目指して、米沢から家形山に登ることに。

 家形山は1877m。山形百名山では7番目の標高を誇る。ベスト8とは知らなかった。福島側からだと、比較的簡便に登れるからか、山に対する敬意が欠けていたかもしれない。

 五色沼が目当てなので、本当は浄土平から登りたかった。しかし越境自粛である。ちょっと出たくらいで目くじらを立てるなよと言いたいが、自粛警察なるアンポンタンに関わり合いになるのも馬鹿らしい(山形や福島にそうした輩がいるかどうかは、知りませんが)。滑川から登ることとする。初めてのコースだった(30年前に姥湯から兵子(ひょっこ)に登ったことはあった)。

 滑川温泉手前で、姥湯に至る林道へ左折。暫く進むと4、5台は止めれる舗装されたスペースが谷側に現れる。高倉新道の登り口。
 登山道入り口は明瞭ではない。ちょっと戸惑うが、高倉新道(米沢山の会)という三角看板がくくりつけてある。高倉山の麓をたどりながら緩やかに登っていく道はよく踏まれている。ブナ二次林の中を進む気持ちの良い道も、倉沢(鎌研沢)を超えたあたりから霧ノ平に一直線に向かう上りとなる。傾斜がきつくなるにつれ、エグれ、ドロ道となる。


水場があり⇓

 
 
























 この日は暑かった。標高を上げても、気温は下がらず、ややバテた。
 小休止した霧ノ平から西を望むと、とんがった久蔵森、そこから左へ、奥は白く輝く東大巓、手前は薬師森(その麓に姥湯がある)。さらに左は奥が烏帽子山、手前に重なる大日岳。さらに左に偽烏帽子とぴょこんと兵子。そして家形山へと続く。


 霧ノ平は家形山と高倉山の鞍部になっている。5分も進むと神楽新道との合流点。直ぐに神楽石が現れる。登ってはみなかったが、舞台のように吾妻山の眺望が良いのだろうか。
 標高1500mくらいまでは平坦な地形を進む。所々ガレ場が現れる。風衝地か。残雪が茶色に染まっていたが、黄砂か。もしかするとガレ場から吹き上げられた土なのかも知れない。

 オオシラビソの林に入ると清々しい。
 小枝に密集する葉は日差しをさえぎり気温を下げる。それ以上に、オオシラビソの静かな呼吸が森を浄化している。そんな感じだ。
 林床に点々と群落を成すバイカオウレンの清潔な白い花は、この森に如何にも似つかわしい姿だった。

 登山道は、1700mを過ぎ、一山越したあたりから、傾斜は急になる。ちょうど1800mあたりの急斜面に雪が残る。十分に緩み、キックステップで難なく登れるのだが、谷まで続く雪面は滑落の恐怖を呼び起こす。念の為、カンジキを履く。キックステップでつま先をねじ入れた時、カンジキが雪面に張り付き、安定感が増す。安心感も増す。
            

 急斜面の次の痩せ尾根を超えると平坦な家形山の山頂一帯となる。適当にコース表示を探しながら林を抜け、クマザサの中の道を右手に五色沼を見ながら進むと直ぐにガレ場の山頂。五色沼に感激し、山頂での写真を取り忘れたが、山頂の表示は無く、ケルンが積んであった。



      
 





   








                             帰路もクライマックスは急な雪面下り。
 

 クライムダウンでヤレヤレの1600mであたりで北西に下る尾根を登山道は乗り越えて行く。上りでは視野にも入らなかったが、下りでは如何にも歩きやすそうで、コースが続くような尾根筋が目の中に飛び込んで来る。下るのか、足跡はあるか。念のためGPSを開く。その尾根じゃない、その倒木の先にトラックは続いてる。本当にその一瞬の思い込みが遭難に誘う。新潟の里山での親子の遭難死を思い出さずにはいられなかった。


 高倉新道と霧ノ平の出会いまで下りすぎたが、戻り返し、神楽新道を降りる。一部、道がはっきりしないところもあったが、泥道もなく、思ったほどの急坂でもなく、歩きやすい道だった。上りも下りも神楽新道のほうが合理的だと思う。

 車道を下る頃には、気温も下がったのか、広葉樹林の新緑を、優しく霧が覆っていた。