2018年8月17日金曜日

堪能指数1.4倍

 2018年7月30日快晴酷暑の鳥海山康新道

小関君と鳥海山へ。午前2時半発。


 彼からのリクエストで康新道を行く。遊佐山岳会の方から康新道にはチョウカイフスマの大群落があると教えられたという。
 康新道は、もう10年も前に下ったことはあった。クロクモソウやアラシグサとかを鈴木さんに教えられた覚えがある。

 竜が原湿原にはギボウシだけ。ミツガシワもヒオウギアヤメもミズギクも見当たらない。
 祓川神社からすぐの登山道の入り口は、なぜか進入禁止にされていて、比較的急な雪渓がコースとなっている。スプーンカットは小さく、またこの時間帯だと雪面は締まっており、歩きにくかった。賽の河原の手前、御田の手前にも急な雪渓が残っており、軽アイゼンが、4本爪でいいので、欲しいと思った。
 この時期に、この雪渓を何度も歩いているが、アイゼンが欲しいと思ったのは初めてだった。雨が少なく、気温が高い日が続いていたので、いつもと雪渓の溶け方が違い、スプーンカットが小さく、足場が心もとなかったせいだと思いつつ、還暦を迎え対応力が落ちてしまったのかとの思いも横切り、足取りは重く、慎重になるばかりだった。

 御田のチングルマ、ヒナザクラが見事だ。



 七ツ釜手前の雪渓の前半を登り切ろうとしているところで、後続の女性リーダ4人パーティーに追いつかれる。こちらは慎重かつ自信を失った危なっかしい足取りだったので、先を譲ったが遠慮されてしまった。仕方がないのでノッタリと先を進む。
 小関君が腹がすいたというので軽食タイムとする。後続の4人パーティーは、その手間で休憩したらしく、しばらくたってから追いついて来て、2人は雪渓を、2人は現れた登山路を行く。ほどなく、雪渓が終わったところで4人は合流するも、立ち止まり何かを探しているようだった。
 こちらも再び歩き出し、4人パーティーが立ち止まっている手前で、登山路に残る雪を踏み抜いた奥にサングラスが落ちているのを見つけ、ほぼ奇跡的ですねと手渡す。ゴミにならなくて良かった。

 七ツ釜を過ぎると康新道の分岐。康新道は七高山にまっすぐ続く稜線を行く。西側が切れ落ち、山頂、外輪、稲倉岳、鳥海山北斜面そして日本海と、雄大な光景が広がる素晴らしいコースだが、あまり歩く人は多くないようだ。
 このコースの草原部ではハクサンシャジンやイワテトウキが、そしてガレ場にはチョウカイフスマ、イワブクロが大きな群落をなす。大岩にはイワウメがびっしり抱きついてもいる。その時季に来れば、また違った花々が迎えてくれるのだろう。
遠くのシルエットは寒風山か

イワテトウキと思う

チョウカイフスマの群落

イワブクロの群落

ハクサンシャジンとアキノキリンソウ

稲倉岳

 新山を回って大物忌神社前で大休止としたが、この日は快晴猛暑で、あまり食欲がわかない。早煮えマカロニをパスタソースで流し込む。

 大休止から腰を上げたところで、先ほどの女性リーダー4人パーティーとすれ違い、あいさつを交わす。
 下山は大雪路を行く。午後から雲が出始め、日差しを遮るものの、高山とは思えない高温高湿度に話す余裕もなくなり、写真撮影に忙しい小関君を待たずに、ひたすら下り、水場ではしびれるように冷たい雪解け水で口を漱ぎ顔を洗う。
 朝、てこずった雪渓も緩み、快調に下る。
 御田の下の雪渓で70代近い老夫婦が下山にてこずっている。旦那さんは声をかけられたのがちょっと不満気味に、シューズのかかとが丸まったタイプで靴をねじ込めないと言う。奥さんのほうは普通のウォーキングシューズに見える。旦那さんは尻もちをつきながら自力で降りて行ったが、奥さんは先に進めなくなってしまっていた。靴でステップを切るのでその後を追ってくださいと誘導する。最近、鳥海山や月山での事故報道が多いように感じるが、中身は高齢者ドライバー事故と同じで、経験による自己過信による事故なのかもしれないと思いながら、その先の雪渓でも、急なところは靴を雪渓にねじこみ、意識して靴跡を付けて進んだ。

 そういえば、途中一緒になった人に、前日行われた鳥海ヒルクライムレースで、60代部門の総合2位の男性がいた。小関君の話によれば(小関君が落としたサングラスを拾ってもらった縁)、名古屋の人、タイムトライアルで1位、ヒルクライムで2位だそうだ。山歩きも、奥さんと2人して快速であり、レースの翌日凄いですねと驚いたら、28Kmと距離が短いからダメージはないとあっさり言われてしまう。

 朝の5時から十二分に楽しんだ鳥海山滞在は11時間弱。コースタイム1.4倍くらいの堪能係数。コースタイムより如何に早く歩けるかから、如何に山に居座っていられるか、これだな。

2018年8月13日月曜日

初めて訪れた和賀岳


平成30年8月11日山の日
 山幹事の鈴木さんと和賀岳に行く。
 2時過ぎに山形発。国道13号を北上。自動車道はありがたい。ほとんどが無料供用区間だが、横手まで行ってしまうと有料。横手IC出口は、そのまま国道13号に接続している。

 横手から大仙の途中の美郷町は後三年の役(1083年)の舞台。道の駅「雁の里せんなん」には八幡太郎義家のゆるキャラ像。鈴木さんは直ちに反応、八幡太郎は源義家、後三年の役で、雁が編隊を乱して飛んでいたのを見た義家が敵が潜んでいることを察知し勝利を得たこと、この戦は、奥州を治めていた清原家の内紛に時の国府であった義家が介入したものだが、これは朝廷の命によらない私戦とされたこと、それでも義家は自腹で功績があった武将に恩賞を与え、この恩がのちの鎌倉幕府の源ととなったこと、前九年の役で滅ぼされた阿部一族の流れをくむ清衡が藤原姓(奥州藤原氏)に復し、清原家が終焉したこと等を得々と話し出す。

 太田東小での右折を見逃して、一瞬、行き過ぎるも、問題なく真木林道に入る。真木林道の入り口は、人家もあり、舗装道路である。ほどなくダートとなるが、よく整備されており、すれ違いは無理なものの、走りやすい林道といえる。
 15分ほどで駐車スペースに着く。その先は車両通行止め。既に4、5台の車両あり。
 駐車場脇には避難小屋・トイレがある。小屋の内装は比較的新しく感じる。トイレには紙も備え付けられ、きれいであった。小屋入口と並んで飲めませんと書かれた水場があり、パイプからドクドクと水が流れている。飲み水が得られるのか、確認しなかった。

 6時過ぎに出発。甘露水口まで10分程度の林道歩き。
 登山口は杉の植林地であるが、すぐにブナ原生林となる。大木もあり、手つかずの原生林と評価された和賀山塊の一端を感じる。


登山路は、大きなジグザグで、上っては緩んで、上っては緩んでという感じ進んでいく。朝日や鳥海なんかと比べると急坂はほとんどない。約1000mの標高差を7Kmの距離をかけて、ゆったりと上っていく。
 我がパーティーは、後続者二人から追い越されるも、ほぼコースタイム通り、上りに5時間をかけてたっぷり楽しんだ。なお、次の地形図にある薬師岳避難小屋は跡形も無い。


 コースの概要は他の案内の通りだが、小杉山から先は熊笹に覆われ、足元が見えず、歩きにくい。特に、小杉山、小鷲倉等の稜線上のピークの周辺は、人の背丈並みに育った笹藪の中を掻き分けながら進まなければならず、赤テープがあり進行方向も道型もはっきりしているものの、段差や地面の偏りに一層足を取られやすいので注意を要する。まぁ慌てず騒がずしっかり進むのが肝要。このへんも深山として名高い和賀山塊の醍醐味と楽しむ点か(我がパーティーは登山道未整備を秋田県の所為か岩手県の所為かと毒づいておりましたが)。
ここが登山路です!
薬師岳から先の草原は、これも言われるとおりのお花畑で、既に終わったニッコウキスゲ、イブキトラノオ、クガイソウ、コバイケイソウ等の立ち枯れの多さに、これはハイシーズンに来なければならないと決意も新たにする。

 今の時期は、ツリガネニンジン(もうそろそろ終わりの頃)、ハクサンフウロ、イワテトウキ、ミヤマシシウド、キオン(これは大きく見事であった)、タムラソウ(これも紫の鮮やかさが見事であった)、ヤマルリトラノオ、トウゲブキ(これも終盤か)、イブキゼリモドキ、シロバナトウウチソウ、トモエシオガマ、イワショウブ等が咲き乱れている。

 和賀岳の山頂は広く。盛り上がったテーブルに花々が咲き、その間の大地は白っぽい石屑が平たいに敷き詰められている。三角点がピーク。その脇に小ぶりの石の祠が祭ってある。


スタート時点から小雨。ほんの一瞬、青空も見えたが、終日、山を覆った雲は晴れることはなかった。眺望がなかったことは残念だが、1400m程度の山なのに、広い風衝地帯を持つ和賀山塊の、気象の厳しさを垣間見ることができたこと、これを良しとする。

マルバキンレイカ(オミナエシ科オミナエシ属)
 初めて見たと言うと、鈴木さんは磐梯山で教えたと宣う。そうかもしれないが、一切記憶にない。キンレイカと名がつくもので覚えているのはコキンレイカ。ダイグラ尾根を一人下ったとき、宝珠山の岩場に確固として咲く鮮やかな黄色の花が忘れられず、乞うて教えられたのがコキンレイカ。オミナエシの仲間。マルバキンレイカも同様。葉っぱはギザギザで全然丸くないが、他のオミナエシの葉っぱは、もっと深く細かく裂けるのに対し、葉っぱの周りだけギザギザで、葉っぱそのものは裂けいていないので丸葉ということらしい。(ちなみに真ん中の花はハクサンフウロ)


タムラソウ(キク科タムラソウ属)
 まるでアザミであるが葉っぱは確かにアザミのようなトゲトゲは無い。花の様子はアザミより艶やかな感じがするが、どうだろう。鈴木さん曰く珍しい花ではないが最近は見かけなくなったとのこと。生育地は「山地の草原など」だそうで、他のところで見かけなくなったとすれば、和賀山塊の原始性、手つかず性のなせる業なのかもしれない。

ヤマルリトラノオ(ゴマノハグサ科ルリトラノオ属)
 ようやく会えた花である。
 新庄は杢蔵山に咲いていると10年以上前から正敏さんに教えられていたが、花期は8月初旬という熱暑の時季であることとや、あまり山登りとしては食指の動かない杢蔵山といこともあって、今日までお預けをしていた花である。
 和賀山塊でも、生育しているのは、この薬師岳周辺だけのようだった。

注意:最後に、地形図に薬師岳手前から甲山を迂回する登山路があるが、またネットで検索すると「和賀岳・薬師連山登山マップ」がアップされているが、まったく刈り払いされておらず、歩く人も少ないらしく道型もはっきりしていない。計画を立てる際には十分留意すべし。