2014年8月10日日曜日

五百沢智也氏、昨年12月に逝去。

 五百沢智也さんが昨年12月に亡くなった。山渓3月号で知る。

 30年以上前、前野さん(職場の先輩です)が主宰する自然観察会に参加した時のゲストが五百沢さんだった。
 その時、五百沢さんはヒマラヤ仕様といった感のサングラス(眼鏡と鼻の周りが覆ってある)をしていて、実に玄人っぽい出で立ちであったが、西蔵王の放牧場周辺を歩き回る観察会にしてはちょっとやりすぎだなぁと思ったことだけ、今も覚えている。

 その後、五百沢さんの著書を読み、氷河研究や地形図のエキスパートであることを知り、山形市出身だということから何となく親近感を感じていた。


 80歳だったそうだから、お会いした時は50歳前の現役バリバリの頃だった。

 山渓に小さく載った写真からはお会いした当時の雰囲気は感じられないが、新幹線と思われる車中でベレー帽をかぶっている五百沢さんは実にダンディーで格好いいのだ。山屋というのは斯くあるべしなのだろう。

 山形の偉大な先輩のご冥福をご祈念申し上げます。

2014年6月23日月曜日

5月11日 古寺鉱泉から春山大朝日ピストン

 ヤマレコで5月連休頃の大朝日登山の記録を見る。無性に行きたくなる。
 日帰りなので、大朝日は無理でも、古寺山、うまくいけば小朝日までは行けるだろうと早起きすることにする。

 昨日は雲が多く、市内からは大朝日を望むことができなかったが、今日は、雲一つ無い空。
 途中、山辺を経由。田んぼが朝霧に覆われている。山の端が輝き、ぱっと朝日が射す。霧どもはゆさゆさと横に揺れたかと思うと、さっと空に駆け上がり消えた。まるで生き物。ジブリの世界。

 古寺鉱泉駐車場には5~6台の車があった。昨日入ったのだろうか。先行者があるのは心強い。歩き出しは6時20分。
 古寺鉱泉裏の登り出しは、雪はすっかり解けていた。6時40分、尾根道に至る。まったく雪はない。乾いたヒメコマツの登山道は快適だ。

  左手に鳥原山が白く見える。





 尾根の傾斜がだんだん緩くなり、山道が西に方向を変え、ハナヌキホウへ向かう辺りから残雪が現れ出す。


 はっきり残る先行者の足跡を追い、快調に進む。ハナヌキホウは、夏道とおり南斜面をトラバース。傾斜がきつい。いっそのこと、尾根伝いにハナヌキホウに登り上げた方が楽かもしれない(テープあり)。


 ハナヌキホウと古寺山の鞍部に出る。分岐の標識は頭だけ出していた。1m位の積雪があることになる。日暮沢へ至ることとなるハナヌキホウへの登山道を通行止めにしている赤テープが健在だった(根子から日暮沢に至る林道が土砂崩れのため)。


 古寺山への登り。日差しは暑いが、雪は締まっていたので、少しでも楽をしようとアイゼンを着けていると、下山者一人あり。上の様子等を尋ねると、昨日入山し、強風で熊越あたりから耐風姿勢で登り、大朝日小屋泊とのこと。今日は楽勝、荷が重くないなら、山頂日帰り大丈夫とのこと。

 古寺山の山頂付近は東側(登り方向左側)に雪庇が発達してる。山頂への出入り口となる個所に赤テープ。東側は雪庇が発達し、そもそも山頂から歩きやすそうな尾根が北西(下山では進行方向左となる)に伸びているため、下山時には日暮沢側の沢方面に下ってしまう道迷いが多いという。朝日町在住のベテランI先輩も、ここで日暮沢に側に下りた経験があると言う。



 古寺山から小朝日は指呼の間という感じ。夏は逆に遠く感じられるのだが(私はと言うべきですね!)、小朝日への登山道では巨大な雪のブロックが東側(進行方向左)に崩れかけている。出来るだけ西側(進行方向右)に寄って進む。






所々に夏道が顔を出す。カタクリの花が咲く。こんな高山にも咲くのかと驚く。


雁戸山

 小朝日から熊越へまでは、ほとんど夏道だが、所々に残る雪を踏み抜きながら降りなければならず、かえって歩きにくい。
 熊越から銀玉水辺りでも大きくクラックが走る。巨大な雪塊が谷に吸い寄せられている。とてつもない量の雪達も、こうして山々から消えていくのかと改めて感心する。



 銀玉水から上は大雪原という感じで、ひたすら我慢の歩きとなる。左右で1歩と数えておおよそ400歩で雪原を登り切る!?。



 雪原から上の登山道にはほとんど雪がない。大朝日小屋の周りも雪は消えている。小屋着はちょうど12時。下山する先行者二人と行き交う。それぞれ単独行動だった。ザック置いて山頂へ。戻って昼飯を食べ、1時過ぎに下山開始。


大朝日山頂から祝瓶と飯豊連峰
下りは快調だった(小朝日の登り返しはかなり辛かったです)。古寺山からは、ほとんど駆け降りる。ハナヌキホウに登ってみる。三方?視界が効き、山頂ぽい感じあり(夏はコースの通過点未満)。ハナヌキホウからの下山路には赤テープがあるが、尾根はだんだん広がってくるので、赤テープを見失わないように注意すべき。東を向いていた尾根道が北へ方向を変えるあたりが要注意。登りはハナヌキホウが目印になるが、下山時、特に雪に覆われている時は、尾根伝いに下る意識が強いと、北へ折れずに真っ直ぐ行ってしまう恐れがある。真っ直ぐ行った方が尾根は広く、誘われてしまう。ここはしっかりとハナヌキホウと古寺鉱泉の位置関係を頭に描き、地形を確認する必要がある。

 駐車場には16時20分。ちょうど10時間で夏山と変わらないコーストタイムとなった。これは、先行者があったこと。前日、気温が低く、雪が締まっていたこと。当日の天候が快晴無風であったこと等の好条件が重なったためであることを強調したい。

 でも、凄く良かった!
 山雪でスキーかついで行きましょう。
      

障子ヶ岳

月山、湯殿山、鳥海山

2014年5月6日火曜日

平成26年5月4日 蔵王ダム~熊野岳ピストン

 久々のブログ更新。

 大好きな蔵王ダムから地蔵・熊野岳コース。
 今回は、雪もたっぷりあるので、八方沢源頭部トラバースの熊野岳行き。
 源頭部までは、概ね夏道沿いで、下り過ぎ警告のトラロープの辺りから熊野直登。目の前に見えるのに遠かった。

 斜面には2本のシュプール。尾根にはシールを外すスキーヤー二人。うらやましい限りでした。

 熊野岳は、強風で、思わずカッパ上下を慌てて着こんでしまうほど寒かった。


 帰りは、熊野北面の大斜面につぼ足跡を刻んでトラバースしながら登ってきた足跡に合流。足跡を追いながら下山。


 ほとんど夏道に戻ったところで、ちょっと油断したのか、地形を見誤り、北に下るところを、さらに西方面に進んでしまう。結構深い沢が現れ、ちょっと登り返して対岸の尾根に至るが、どうも三宝荒神に連なる端の尾根まで来てしまったようで、東へ東へと下りながら戻った。地図を確認し、地形の理解は間違っていないはずと確信するも、当然ながら、熊さんの足跡もあったりするので、初めて足を踏み入れた場所は、どうにも落ち着かない。
 ダケカンバとブナの林まで下がってきて、左手には名号峯が見え、進行方向に見覚えのある地形、測候所の平原を確認しすることができ、やれやれの感。
 やっぱり山は下りが肝心。熊野からは山形神室を目指し、アオモリトドマツの林では雁戸山を目指し、明瞭な(大きな)沢の3つ目を超えたら沢伝いに下るというのが下山ルールだったが、結果として、明瞭感を誤り、行き過ぎたもの。
 スキー滑降では、この一瞬の誤りが遭難につながるなぁと、後になってから失敗感、敗北感が強まったので、ブログに記して、教訓とするもの、です。
(オレンジ色(ほぼ夏道)赤色(熊野岳直行)が登りルート。青色が下りを楽しんだコース。緑色が行き過ぎたコース。)